石原裕次郎オンライン記念館

動画

記念館説明映像

石原裕次郎記念館【説明映像】

小樽にあった石原裕次郎記念館内をご案内する映像。
まき子夫人がナレーションを担当した。

映画

『狂った果実』【予告編】

裕次郎がデビューからわずか2ヶ月後に主役に大抜擢され、飛躍を遂げた作品。
太陽族の生態を活写した衝撃的なストーリーに大人たちは眉をひそめたが、国内外の映画界での評判は高く、特にフランスのヌーヴェル・ヴァーグへ大きな影響を与えた。
当時、経営がひっ迫していた日活は、裕次郎の活躍によりこの後、再生を成し遂げた。

『嵐を呼ぶ男』【予告編】

主題歌も大ヒットして映画黄金時代を象徴する裕次郎の代表作の一つである。
流しのドラマーがトップスターにのしあがっていく青春ドラマ。
ライバルとのドラム合戦の最中、スティック片手に裕次郎が突然「おいらはドラマー♪」と歌い出す場面は、映画史に残る名シーンである。

『銀座の恋の物語』【予告編】

1961年(昭和36年)に大ヒットとなった裕次郎の曲を映画化した作品。
貧しくも明るい画家(裕次郎)と恋人とのラブロマンス。
交通事故で記憶を失い行方不明になったかつての恋人と再会し、献身的に尽くす純粋で切ない恋を描いた。
多く登場する昭和の銀座の街並みが懐かしい。

『黒部の太陽』【予告編】

三船敏郎の三船プロダクションと石原プロモーションの合作で製作。
人跡未踏の秘境黒部峡谷を切り開き、巨大なダムを建設した人々の姿を圧巻のスケールで描いた超大作。
当時、映画界の五社協定という大きな壁に阻まれ、企画は難航。
制作費、キャスティング、スタッフィング等多くの困難を抱えながらも関西電力の助力を得て完成に漕ぎつけた。
総入場者数734万人、この年の日本映画最高の記録となった。

『栄光への5000キロ』【予告編】

1960年代、日本の日産チームがサファリラリーで優勝した実話をもとに、過酷なレースに命をかけて挑む男たちの夢を描いた作品。
当時の日本映画では珍しい外国人キャストを起用、モンテカルロ・ラリー、サファリラリー等を2ヶ月に渡り海外ロケを行う。
壮大なスケールで裕次郎が日本映画史を塗り替えた意欲作。

テレビドラマ

『大都会』第1話【予告編】

『大都会』は、石原プロモーションが初めて本格的にテレビドラマに進出した作品である。
城西警察署を舞台に渡哲也が主人公の刑事・黒岩頼介、裕次郎は記者クラブのキャップ・滝川竜太を演じた。
黒岩刑事を除き、各シリーズの大半が独立した世界観となっている。
その後、この作品の設定をほぼ受け継ぐ形で『西部警察』へと引き継がれた。

『西部警察』第1話【予告編】

『西部警察』は、『大都会シリーズ』が1979年(昭和54年)9月に終了、翌10月からスタート。
裕次郎は木暮謙三捜査課長、渡哲也の演じる大門捜査部長とタッグを組んで難事件を解決していった。
日本のテレビドラマ史上前例のない迫力のアクションやカースタント、爆破シーン、多種多様な銃器を使いこなし話題となった。
主人公の渡哲也が演じた大門捜査部長を中心とした刑事たちを大門軍団とも呼ばれた。
シリーズは5年間に渡る大ヒットドラマとなった。

『西部警察』激走 CAR CHASE

『西部警察』は、『大都会シリーズ』が1979年(昭和54年)9月に終了、翌10月からスタート。
裕次郎は木暮謙三捜査課長、渡哲也の演じる大門捜査部長とタッグを組んで難事件を解決していった。
日本のテレビドラマ史上前例のない迫力のアクションやカースタント、爆破シーン、多種多様な銃器を使いこなし話題となった。
主人公の渡哲也が演じた大門捜査部長を中心とした刑事たちを大門軍団とも呼ばれた。
シリーズは5年間に渡る大ヒットドラマとなった。

『西部警察』爆炎 CLIMAX

『西部警察』は、『大都会シリーズ』が1979年(昭和54年)9月に終了、翌10月からスタート。
裕次郎は木暮謙三捜査課長、渡哲也の演じる大門捜査部長とタッグを組んで難事件を解決していった。
日本のテレビドラマ史上前例のない迫力のアクションやカースタント、爆破シーン、多種多様な銃器を使いこなし話題となった。
主人公の渡哲也が演じた大門捜査部長を中心とした刑事たちを大門軍団とも呼ばれた。
シリーズは5年間に渡る大ヒットドラマとなった。

歌手

二人の世界【全国縦断リサイタル映像】

15年間、ある少女への殺害容疑で無実の罪を着せられ、フィリピンへ逃亡していたが、殺人犯の汚名を返上するため時効寸前に日本へ舞い戻ってきた男(裕次郎)の怒りと慕情を描いたムード・アクション巨篇「二人の世界」の主題歌。

宝酒造CM

松竹梅CM「酒」篇【石原裕次郎】

1968年(昭和43年)宝酒造株式会社とコマーシャル契約し、又「黒部の太陽」と云う映画で観客動員数、配給で最高記録を作り順風満帆だったが、二年後に「ある兵士の賭け」の制作で失敗。
負債を抱え、倒産の危機に陥る。
そして裕次郎も病魔に倒れたが、宝酒造株式会社とのコマーシャルとテレビドラマ出演で負債を少しずつ返却し、宝酒造株式会社のバックアップで立ち直り、石原プロモーションは蘇る事ができた。

松竹梅CM「墨絵」篇【渡哲也】

1968年(昭和43年)宝酒造株式会社とコマーシャル契約し、又「黒部の太陽」と云う映画で観客動員数、配給で最高記録を作り順風満帆だったが、二年後に「ある兵士の賭け」の制作で失敗。
負債を抱え、倒産の危機に陥る。
そして裕次郎も病魔に倒れたが、宝酒造株式会社とのコマーシャルとテレビドラマ出演で負債を少しずつ返却し、宝酒造株式会社のバックアップで立ち直り、石原プロモーションは蘇る事ができた。

松竹梅CM「よろこびをお伝えして50年」篇【石原裕次郎、渡哲也 共演】

1968年(昭和43年)宝酒造株式会社とコマーシャル契約し、又「黒部の太陽」と云う映画で観客動員数、配給で最高記録を作り順風満帆だったが、二年後に「ある兵士の賭け」の制作で失敗。
負債を抱え、倒産の危機に陥る。
そして裕次郎も病魔に倒れたが、宝酒造株式会社とのコマーシャルとテレビドラマ出演で負債を少しずつ返却し、宝酒造株式会社のバックアップで立ち直り、石原プロモーションは蘇る事ができた。