石原裕次郎オンライン記念館

年譜

1934
0歳

12月28日、石原潔・光子夫妻の次男として神戸市須磨区で誕生。

1937
3歳

父の転勤に伴い北海道小樽へ転居。

1941
7歳

小樽市稲穂国民学校に入学。

1947
13歳

新制(6・3・3制)の町立逗子中学校に入学。

1950
16歳

慶應義塾高校に入学。

1953
19歳

慶応義塾大学法学部へ入学。
父の影響と海への憧れから、将来は船乗りになり、海外へ雄飛しようと考えていた。

1955
21歳

兄慎太郎が、『文学界』に発表した「太陽の季節」が、第34回芥川賞を受賞。登場人物のスタイルを真似する若者が続出。”太陽族”の流行語が生まれる。

1956
22歳

『太陽の季節』の撮影現場に学生言葉とヨットの指導で訪れるが、水の江滝子の目に留まり、主人公の友人役で出演。その後『狂った果実』で主役を務め、本格的にデビューする。

1957
23歳

第1回エランドール賞(日本映画製作者協会)新人賞受賞。
「俺は待ってるぜ」が160万枚の大ヒットを記録、また日本初の歌謡LPレコードを発売。

1958
24歳

『嵐を呼ぶ男』が映画、主題歌共に大ヒットを記録する。
前年の『勝利者』で第8回ブルーリボン賞新人賞受賞。
写真集『海とトランペット』発売。
成城一丁目にプール付きの豪邸を建てる。

1959
25歳

撮影やレコーディング等のハードスケジュールで疲れきってしまい、2週間の失踪騒ぎを起こす。
『世界を賭ける恋』で日本映画初の北欧ロケを敢行。

1960
26歳

交際を認めない日活への抗議の意味も込め、北原三枝とアメリカへ婚前旅行。
12月、日活ホテルで結婚式を行う。その後、北原は『闘牛に賭ける男』を最後に女優業を引退。

1961
27歳

志賀高原のスキー場でスキーヤーと衝突し、右足首粉砕複雑骨折で全治8カ月の重傷を負う。

1962
28歳

「赤いハンカチ」が240万枚の大ヒットを記録。
台湾の中央電影公司と提携し、『金門島にかける橋』で現地ロケを行う。

1963
29歳

独立プロダクション「株式会社石原プロモーション」設立。
『太平洋ひとりぼっち』が第18回芸術大賞、ブルーリボン賞企画賞受賞。

1964
30歳

『素晴らしきヒコーキ野郎』出演のため渡英。
三船プロ・石原プロの提携を発表。

1965
31歳

「芸能生活10周年記念・全国縦断リサイタル」を開催。全国24カ所で54公演を行い、延べ20万人もの観客を動員する。

1966
32歳

ドラマ『すてきな仲間』で三船敏郎と共演。
「裕次郎のクリスマス・キャロル」というクリスマスソングのアルバムに初挑戦。

1967
33歳

10年連続ヒットの功績から、第9回日本レコード大賞特別賞を受賞。
『黒部の太陽』撮影中の事故により裕次郎含む20人が負傷。

1968
34歳

三船プロと共同製作した『黒部の太陽』が日本映画の興行記録を塗り替えるヒット。

1969
35歳

日活との契約が白紙となり、フリーになる。
日本初の2枚組LPレコード『石原裕次郎ヒット全集・魅惑の歌声』を発売。

1970
36歳

『ある兵士の賭け』が興行的に失敗し、石原プロが倒産の危機に陥る。

1971
37歳

渡哲也が石原プロに入社。

1972
38歳

日本テレビ系『太陽にほえろ!』が放送開始。

1973
39歳

最後の主演映画『反逆の報酬』で渡哲也と共演。

1974
40歳

宝酒造のCMに初めて夫婦で出演。夫婦仲の良さが話題に。

1975
41歳

NHK「ビッグショー」に出演。
日本レコード大賞特別賞受賞。
結婚15周年(銅婚式)を迎える。

1976
42歳

『大都会・闘いの日々』で新聞社のキャップ役でレギュラー出演。
生涯最期の映画『凍河』に友情出演。

1977
43歳

『大都会PARTⅡ』で警察の嘱託医役。
アドミラルズ・カップヨットレースに挑戦。

1980
46歳

成城に新居を建設中、古墳時代の住居跡が発掘され、遺跡が一般公開される。

1982
48歳

『西部警察PART-Ⅱ』の全国縦断ロケへ。回復を祈ってくれたファンへのお礼の意味も。

1983
49歳

舘ひろしが石原プロに入社。
石原プロ創立20周年記念パーティー。

1984
50歳

『西部警察PART-Ⅲ』終了。
肝細胞ガンが見つかるが、本人には告知されなかった。

1985
51歳

芸能生活30周年の『石原裕次郎スペシャル』が放映される。
12月に銀婚式を迎える。

1986
52歳

体調が思わしくなく、『太陽にほえろ!』降板を決意。11月に最終回を迎え、最後の出演。

1987
52歳

7月17日慶應病院新館5号棟10階1号室にて永眠。享年52。