12月28日、石原潔・光子夫妻の次男として神戸市須磨区で誕生。
父の転勤に伴い北海道小樽へ転居。
小樽市稲穂国民学校に入学。
新制(6・3・3制)の町立逗子中学校に入学。
慶應義塾高校に入学。
慶応義塾大学法学部へ入学。
父の影響と海への憧れから、将来は船乗りになり、海外へ雄飛しようと考えていた。
兄慎太郎が、『文学界』に発表した「太陽の季節」が、第34回芥川賞を受賞。登場人物のスタイルを真似する若者が続出。”太陽族”の流行語が生まれる。
『太陽の季節』の撮影現場に学生言葉とヨットの指導で訪れるが、水の江滝子の目に留まり、主人公の友人役で出演。その後『狂った果実』で主役を務め、本格的にデビューする。
第1回エランドール賞(日本映画製作者協会)新人賞受賞。
「俺は待ってるぜ」が160万枚の大ヒットを記録、また日本初の歌謡LPレコードを発売。
『嵐を呼ぶ男』が映画、主題歌共に大ヒットを記録する。
前年の『勝利者』で第8回ブルーリボン賞新人賞受賞。
写真集『海とトランペット』発売。
成城一丁目にプール付きの豪邸を建てる。
撮影やレコーディング等のハードスケジュールで疲れきってしまい、2週間の失踪騒ぎを起こす。
『世界を賭ける恋』で日本映画初の北欧ロケを敢行。
交際を認めない日活への抗議の意味も込め、北原三枝とアメリカへ婚前旅行。
12月、日活ホテルで結婚式を行う。その後、北原は『闘牛に賭ける男』を最後に女優業を引退。
志賀高原のスキー場でスキーヤーと衝突し、右足首粉砕複雑骨折で全治8カ月の重傷を負う。
「赤いハンカチ」が240万枚の大ヒットを記録。
台湾の中央電影公司と提携し、『金門島にかける橋』で現地ロケを行う。
独立プロダクション「株式会社石原プロモーション」設立。
『太平洋ひとりぼっち』が第18回芸術大賞、ブルーリボン賞企画賞受賞。
『素晴らしきヒコーキ野郎』出演のため渡英。
三船プロ・石原プロの提携を発表。
「芸能生活10周年記念・全国縦断リサイタル」を開催。全国24カ所で54公演を行い、延べ20万人もの観客を動員する。
ドラマ『すてきな仲間』で三船敏郎と共演。
「裕次郎のクリスマス・キャロル」というクリスマスソングのアルバムに初挑戦。
10年連続ヒットの功績から、第9回日本レコード大賞特別賞を受賞。
『黒部の太陽』撮影中の事故により裕次郎含む20人が負傷。
三船プロと共同製作した『黒部の太陽』が日本映画の興行記録を塗り替えるヒット。
日活との契約が白紙となり、フリーになる。
日本初の2枚組LPレコード『石原裕次郎ヒット全集・魅惑の歌声』を発売。
『ある兵士の賭け』が興行的に失敗し、石原プロが倒産の危機に陥る。
渡哲也が石原プロに入社。
日本テレビ系『太陽にほえろ!』が放送開始。
最後の主演映画『反逆の報酬』で渡哲也と共演。
宝酒造のCMに初めて夫婦で出演。夫婦仲の良さが話題に。
NHK「ビッグショー」に出演。
日本レコード大賞特別賞受賞。
結婚15周年(銅婚式)を迎える。
『大都会・闘いの日々』で新聞社のキャップ役でレギュラー出演。
生涯最期の映画『凍河』に友情出演。
『大都会PARTⅡ』で警察の嘱託医役。
アドミラルズ・カップヨットレースに挑戦。
成城に新居を建設中、古墳時代の住居跡が発掘され、遺跡が一般公開される。
『西部警察PART-Ⅱ』の全国縦断ロケへ。回復を祈ってくれたファンへのお礼の意味も。
舘ひろしが石原プロに入社。
石原プロ創立20周年記念パーティー。
『西部警察PART-Ⅲ』終了。
肝細胞ガンが見つかるが、本人には告知されなかった。
芸能生活30周年の『石原裕次郎スペシャル』が放映される。
12月に銀婚式を迎える。
体調が思わしくなく、『太陽にほえろ!』降板を決意。11月に最終回を迎え、最後の出演。
7月17日慶應病院新館5号棟10階1号室にて永眠。享年52。